虹ヶ咲とI LOVE YOU
I LOVE YOU.
直訳すれば「私はあなたを愛しています」。
かの有名な夏目漱石曰く、
「"I love you,Signora Laura."―Vittoria p.113.此I love you ハ日本ニナキformulaナリ」
と。
つまり、「このI LOVE YOUは日本にない決まり文句である」と。
その一方で、夏目漱石曰く、
「月が綺麗ですね」
と。
夏目漱石がI LOVE YOUをこのように訳したとも言われています(出典が曖昧なため真偽は定かでは無いですが)。
また、このような文献もあります。
曰く、「我々は『いい月ですね』と言っても、『海が静かですね』と言っても、時としては『アイ・ラヴ・ユウ』の翻訳になる」と。
すなわち、
日本語の奥ゆかしさや表現力を活かすことで、「愛してる」なんて直接的な言葉を使わずとも相手に愛を伝えたりその想いを共有できたりする
ということです。
ただしここでいうI LOVE YOUとは、全てが愛の告白ではありません。
尊敬も憧れも感謝も競争心もすべてひっくるめて大切な想いであり、「仲間でライバル」です。
具体的に見ていきましょう。
歩夢「綺麗だね、月」
侑「うん」
2人の間に「愛してる」や「好き」なんて言葉はありません。
当たり前のような事象である「月が綺麗」を言葉にして、それに同意しただけ。
でもこのシーンをただ文字通りに解釈した人はいないことでしょう。
お互いがお互いのことを大好きで、同じ景色を見ながら同じ気持ちを共有して、隣にいられる幸せを噛みしめているような1シーン。
これが愛の告白だったとか、この後2人は結ばれたとか、そういったことはないけれど、大切な想いを共有できたことは確かです。
このシーンがあったからこそ12話の悩みにも繋がったでしょうし。
少し整理しましょう。
互いに向かい合って愛を伝えるならば、「I LOVE YOU」。
(厳密にはこのシーンで愛の告白をしたわけではありませんが…)
相手ではなく、寄り添い合って同じ方向を眺めながら愛を囁くならば、「月が綺麗ですね」など。
何かを一緒に眺めながらその美しさや雄大さなどを共に感じ、心を通わせる。
そして直接的ではなく婉曲的に、一見関係ない言葉に愛を含ませ想いを乗せて短く囁く。
それだけで、充分なんです。
日本語特有の奥ゆかしさや情緒が多分に感じられるシーンですね。
他にも虹ヶ咲にはこんな描写があります。
アニメ虹ヶ咲のOPEDには、みんなで一緒に虹や太陽を見る描写が必ずあります。
ここで彼女たちが会話をしていたのか、どんな会話をしているのか、公に語られているわけではないのでどんなことを書いても憶測の域を出ないのは確かなのですが…
それでも彼女たちならば、彼女たちが育んできた絆ならば、
多くの言葉がなくとも色んな大切な想いを共有できているだろうと思ってしまいます。
やりたいことはバラバラ、目指す方向性もバラバラ。
みんなそれぞれが自分の好きなことを追求してきた同好会。
でもこんなことも言っています。
さあ日々冒険の それぞれの地図(MAP)
同じものはないね きっとないね
夢の色も違うけど 想いは一緒だよ
熱く、一緒だよ! (NEO SKY,NEO MAP!)
これ以上の説明は不要でしょうかね。
********
時は2023年2月4日、5日。
東京ガーデンシアターにてA・ZU・NAの1stライブが開催されます。
最新のシングル「Blue!」で、彼女たちはこんなことを歌っています。
想像の何倍も青い青い未来がある
(中略)
探そう!
僕らだけのBlue!
世界は青いから
この曲の一番言いたい部分はここで、このような光景が浮かんでくると思うわけです。
3人でどこまでも続く水平線を眺めながら、一言だけ呟く。
僕らだけの青い世界を、青い未来を「探そう」と。
たったそれだけの言葉で大切な想いを共有できる絆を彼女たちは育んできたのです。
そんなA・ZU・NAと虹ヶ咲の未来をこれからも見続けて、応援し続けたいですね。
最後になりますが、虹ヶ咲の歌詞の中で最も端的なI LOVE YOUの表現であるこの言葉を、A・ZU・NA ユニットライブでもみんなで共有できたらいいなと思い、締めくくりとします。
虹がねぇ 見えたの!
この曲のタイトルは?
そう。
"Love U" my friends
Rhyze_りぜ
ミュージカルでも、みんなで叶える物語
人々は時として永遠な物よりも、限りある物に惹かれてきました。
平家物語曰く、『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。』と。
方丈記曰く、『ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。』と。
これは古文に限らず、現代に生きる私たちの身の回りでも。
例えば、打ち上げ花火。もし花火が有限でなく、空でずっと炎を撒き散らしていたら眩しいしうるさいしで風情もへったくれもありゃしません。夏の風物詩たる所以は一瞬で消えてしまうその儚さにあります。
例えば、桜。もしも1年中満開の花を咲かせていたら美しさや希少性は損なわれ、春先にお花見をするなんて文化・風習はとうの昔に消え失せているでしょう。春だけに美しく咲き誇り、少し経てばきらりひらりと舞い散る切なさに人々は風情を感じてきました。
例えば、スクールアイドル。一般的なアイドルは明確な終わりが定められているわけではありません。その一方で、スクールアイドルは3年間という限られた時間の中で精一杯輝こうとする(※どちらが良いとか悪いとかいう話ではなく)。
普通の少女たちが有限な世界の中で悩み、悶え、葛藤し、時にぶつかり合って、それでも前に進んでいく姿に惹かれた人が大勢います。
終わりがあるからこそ、美しい。
でも、まだまだ終わらせたくない気持ちもあって。
今回はそんなお話。
Rhyzm観、開演です。
0.ラブライブ!とは
2010年から始まったスクールアイドルプロジェクト。
音楽・アニメ・2.5次元ライブ・ゲーム・ラジオ・漫画・小説・Web上など様々な媒体で展開されており、誰しも一度は名前を聞いたことがあるでしょう。
当記事の本題ではないので見たことない方はぜひ一度アニメや楽曲をどうぞ!
1.スクールアイドルミュージカルとは
アニメでもなく、2.5次元ライブでもなく、ミュージカル。
既存の作品を舞台化するのではなく、ストーリーや楽曲も完全オリジナル。
ラブライブ!史上初の試みとなった本作は大きな反響を呼んでいます。
筆者は東京と大阪で1回ずつ観劇したのですがその感想としては
アニメ1クール分並みの内容を2時間半に凝縮し、スクールアイドルたちが命を燃やす瞬間を間近で観ることができるという新しいラブライブ!
でした。
Twitter上でも「見てよかった」「完全にラブライブ!だった」という意見で溢れかえっており、さらに大阪の大千穐楽では終演後も鳴り止まなかった拍手が我々の感動と感謝を表していました。
舞台の上で紡がれた「みんなで叶える物語」の、何がそんなに魅力的だったのか。
1オタクの戯言ですがお付き合いいただければと思います。
2.スクールアイドルミュージカルの魅力
※2度観劇したとはいえ、うろ覚えの箇所が多々あります。曖昧な表現や勘違い等あるかもしれませんがご容赦ください…
2-1.有限な世界に生きるスクールアイドルを舞台上で表現
かつてμ'sのリーダーは言いました。
「限られた時間の中で精一杯輝こうとするスクールアイドルが好き。」と。
彼女たちには時間がありません。長くても3年間。中には1年間もない人さえいます。
さらにグループである以上、同じメンバーだけで活動できるのは最長で1年間。
そんな中でも全力で前に向かって走り続けるスクールアイドルの輝きに魅せられて様々な物語が生まれてきました。
普通の少女たちが出会い、グループができ、時にぶつかって、それでも立ち上がって、そしてステージで自分たちだけの輝きを放つ。
それがスクールアイドル。
スクールアイドルミュージカルではその大前提に加えて、時間と場所の2つで制約を設けました。
時間としては、舞台上のたった2時間半。
場所としては、円盤化も配信もなく舞台現地のみ。
アニメよりもずっと限られた世界の中で繰り広げられたのは、
-ルリカが憧れ、アンズと出会い、椿咲花を巻き込み、そして椿咲花と滝桜が1つになり、文化祭ステージに立つ-
という、紛れもないスクールアイドルの物語でした。
0から何かを始め、仲間と共に成長していく物語は私たちをどうしようもなく虜にします。
さらに現地でしか味わうことのできない臨場感や高揚感がミュージカルだけの価値として物語を盛り上げてくれていました。
我々観客は彼女たちの一度しかない青春を正に目の前で観ることができたのでした。
2-2.「廃校」というテーマを扱いつつも、それをあまり重く捉えすぎなかった
ラブライブ!シリーズには「廃校」というテーマがよく付き纏います。
音ノ木坂も、浦の星も、結ヶ丘も、「スクールアイドル活動で廃校を阻止する」という内容がどこかで触れられてきました。
そしてそれはこのスクールアイドルミュージカルでも同じでした。
特に椿咲花は定員割れという単語が出てくるなど非常に生々しい廃校へのリアルさを抱えている様子でした。
しかし明確に違う点がありました。
それは、廃校というテーマと向き合いすぎなかったことです。
これまでのシリーズでは廃校のことをメンバー全員が知っていたり、廃校阻止のためラブライブ!で優勝することを目標として掲げていました。
でも、椿ルリカは誰にも言いませんでした。
「この学校が廃校の危機にあるから、みんなでスクールアイドル活動をしてこの学校を救おう!」と。
その一方で、椿ルリカは言いました。
「本当はみんなとアイドル活動したかっただけなのかも!」と。
この言葉は決して「別に学校が廃校になってもいいや」という意味ではありません。ルリカは何よりも父との約束を大事にしていましたし、母や学校のこともとても大切に想っていた娘です。
でも、大事な約束よりも大事なことが彼女の中で見つかったのです。
自分の中で初めて生まれた大好きなもの、いつも周りにいてくれる大切で大好きな友人、そして今しかできない「学校でアイドル」…
スクールアイドルの本質とも言えるような「やりたいからやる!」という想いがこれでもかと伝わってきて、観ている観客も、そして理事長2人も心が熱くなりました。
「子どもたちがあんなに頑張っているのに、私たちが意地を張っていてどうするの」と言い、2つの学校は最終的に1つの学校となって、理事長2人は共同で経営するパートナーとなりました。
少女たちが一歩目を踏み出し、その想いが周囲の人々を巻き込んでいき、何かが少しずつ変わっていく。
「それがスクールアイドル!」と言わんばかりの純粋な想いと熱量を間近で浴びれるのが最高に気持ちいい空間でした。
余談ですが、個人的にはアニメ虹ヶ咲を所々で感じられる舞台でした。
「スクールアイドルがいて、ファンがいる。それでいいんじゃない?」と同好会のマネージャーが言ったように、
また舞台では「やりたいからやるんだ!」とゆめの羅針盤で叫んだように、
廃校阻止という大きな目標に向かうだけがスクールアイドルの使命ではありません。
普通の女の子がちょっと背伸びして、それぞれがそれぞれのやりたいことを表現するのがスクールアイドル。それをどちらも体現していたように感じました。
また、パンフレットにはこのように書かれています。
ラブライブ!シリーズは(中略)スクールアイドルがいるだけのところから始まった、可能性無限大の「みんなで叶える物語」です。
廃校阻止も、ラブライブ!優勝も、それぞれの大好きを貫き通すのも、ただやりたいから始めてみるのも、全部スクールアイドルの物語なのです。
「ラブライブ!とは廃校を阻止する物語である!」というような既存概念を良い意味で壊してくれた2つの物語にこれからも注目です!
3.変化・進化する歌
ラブライブ!の楽曲は歌う度に変化、あるいは進化(以降まとめて進化とする)を遂げます。
「START:DASH‼」は3人の苦い思い出から、9人の始まりの曲へ。
3人であの日歌えなかった「未熟DREAMER」も、9人の始まりの曲へ。
8人で歌い1人が奏でた「想いよひとつになれ」は9人でひとつの曲へ。
輝きに惹かれて生まれた「TOKIMEKI Runners」は今となっては誰かにときめきを与えられる存在へ。
9色で織りなした「未来ハーモニー」は夢を見る度に色が増えていき、13色の虹へ。
当初無観客で奏でた「私のSymphony」は新たな一歩を踏み出す勇気を与える曲へ。
例を挙げればキリがないほど、ラブライブ!の歌は進化し続けてきました。
アニメで進化した曲、ライブで進化した曲、アニメとライブの狭間で進化した曲などそのバックグラウンドは様々です。
そしてそれは、スクールアイドルミュージカルでも。
例えば、M4:夢見る世界 でルリカは
「どんな気持ちなんだろう どんな感覚なんだろう
彼女が見ている景色 まるで違う景色なのかな
いくら想像してみても 私には関係ない世界…
パパとの約束 パパと最後にかわした約束
それが私にとっての一番の世界 大事な約束」
と歌っています。
アンズや滝桜のパフォーマンスを見てそのキラキラした世界に憧れるものの、私には無理だという諦めが感じ取れます。
しかし母から廃校の危険性があることを知ったルリカは M12:平凡な未来 で一部同じフレーズを歌います。
「パパとの約束 パパと最後にかわした約束
それが私にとっての一番の世界 大事な約束」
しかしここでは歌い方や心情に変化が訪れています。
諦めから、決意へ。
母であるマドカを悲しませないため、勉強も頑張る上でアイドル部を立ち上げようという決意の歌となっていました。
そして続く M13:噂の転校生 ではアンサンブルが残りのフレーズを歌います。
「どんな気持ちなんだろう どんな感覚なんだろう
彼女が見ている景色 まるで違う景色なのかな
いくら想像してみても 私には関係ない世界…」
ここでのアンサンブルたちの心情としては最初のルリカと同じく、憧れと諦め。
しかしそこから一歩目を踏み出したか否かの差が如実に表現されていました。
一歩だけでも踏み出して前に進んでいくルリカたちが上手(客席から見て舞台の右)に走っていったのとは対照的に、アンサンブルは舞台の下手(舞台の左)に猫背で歩いていきます。
同じ歌、同じフレーズなのに、歌い方や立ち振る舞いで大きく印象が変わる。
これは紛れもなく歌の進化、と言えると思います。
また、君とみる夢 でアンズが歌った時の
「いつでも全力のキミを助けるから」
と、
ストリートライブ前に姿を見せたユズハが歌う
「いつでも全力のキミを助けるから」
は、同じようで別々の解釈ができます。
アンズは、まだ走り出したばかりだけどアイドル活動にひたむきで一生懸命なルリカたちに心を動かされ、しばらく忘れていた歌やダンスの楽しさを思い出させてくれたことに対する感謝を。
ユズハは、これまでルリカとずっと一緒に過ごしてきた中で感じたこととこれからの決意をそのまま歌詞にして、文字通り1人で歌おうとしていたルリカを一番近くで支えるために。
歌う人が変われば立場が変わり、歌詞の意味が変わり、その結果として歌の深みが増します。これも歌の進化と言えますね。
さらにこの流れを踏まえた上で椿咲花5人でのステージではあえてアンズのパートを空けておき、サビからアンズが合流して「君とみる夢」が完成するという…
椿咲花の5人にとって、「君」にはアンズが入っていないとダメだという意思表示。
これぞスクールアイドル、これぞラブライブ!と言えるような最高の歌の進化でした。
2-4.冒頭ダイジェスト映像
長々と語ってきましたが、百聞は一見に如かず。
観たことない方は是非一度、冒頭の約10分間をどうぞ!
(ルリカの M4:夢見る世界 は2:33~です)
3.終わりに
今のところ、再公演や円盤化の予定はないとのことです。
冒頭で「人は永遠より限りある物に惹かれる」なんて書きましたが、
いくらなんでもたったの17公演で終わってしまうのはあまりにも悲しすぎます。
しかしご存じでしょうか。
当初はアニメ化の予定がなかったにもかかわらず、既にアニメ2期まで放送が終了し今夏には新作OVAが控えている作品があることを。
「あなたと叶える物語」を体現したグループがあることを。
もしこの記事を読んでくださったあなたが、
「もう一度スクールアイドルミュージカル観劇したい!」
「今回観れなかったから次は絶対観たい!」
と少しでも思っているのなら、ぜひTwitterで
#みんなで叶えるSIM
を付けてつぶやいてください。
また最高の空間を作るために #みんなで叶えるSIM で、想いを届けてください。
— 『スクールアイドルミュージカル』公式 (@sim_LoveLive) 2023年1月29日
キャスト・スタッフ拝見いたします。皆様のお声があれば、再演をはじめ叶えられる物語があると信じています。
これからも #スクールアイドルミュージカル への参加と応援をよろしくお願いします!「約束」です! #lovelive pic.twitter.com/f09rWixspv
カーテンコールのステージで「私たちの文化祭を見に来てくれてありがとうございます!」「また会いましょうね!」と言われたように、我々観客も含めての「みんなで叶える物語」です。
最後に全員で「君とみる夢」を歌ったように、
いつかは同じ「再演をはじめ叶えられる」夢信じ、どこまでも
走り続けていきましょう。
1人1人の声は小さくても、集まれば大きな声になります。
自分がつぶやいたところで何かが変わるわけじゃない、なんて思わずに、
彼女たちのように、少しでもいいから最初の一歩を踏み出してみませんか?
最高に「ラブライブ!」してるスクールアイドルミュージカルを一緒に応援しませんか?
いつでも全力のキミを支えるから!
きっと、きっと、いつかはきっと…!
Rhyze_りぜ
「舞台」リコリス・リコイル
どうやらこの世には2つの世界が存在するようです。
1つは3次元。それは私たちが生きている現実の世界。
もう1つは2次元。それは現実とは隔たれた画面の向こうの世界。
我々人間は時として、3次元よりも2次元の虜になります。
現実ではありえない魔法に憧れたり、
人外的な能力を以て戦う姿に惚れたり、
友情・努力・未来・勝利・A Beautiful Starなストーリーに心惹かれたり。
またある時には現実をベースとした空想の物語にも魅了されます。
チームの仲間と共に大会優勝を目指すスポーツもの、
バンドを組んで自分たちだけの音楽を目指すもの、
人間関係に悶え悩みながら答えを出す恋愛もの、
そして、喫茶店で働く少女たちの日常もの。
どれもそれぞれ特有の魅力があり、私たちの心をつかんで離しません。
ところで、こう思ったことはないでしょうか。
「これが現実だったらいいのに」
「この世界に自分も飛び込めたらいいのに」
今回は、そんなお話。
Rhyzm観、開演です。
0.「アニメ」リコリス・リコイルとは
2022年夏に放送された「リコリス・リコイル」。
オリジナルアニメーションとしては異例レベルの大ヒットを記録し、2022年夏アニメどころか、2022年アニメを代表する作品となりました。
ただ、ここは本題ではないので見たことない方はとりあえずHPとアニメを見てください。
1.「舞台」リコリス・リコイルとは
2023年1月7日から15日の間、天王洲 銀河劇場にて披露された、いわゆる「2.5次元舞台」です。
アニメや漫画など2次元と、リアル舞台の3次元。その中間にあるものとして2.5次元。
すなわち、2.5次元舞台とは「漫画やアニメを原作とし、それを限りなく現実にしてくれる舞台作品」ということになります。
それを踏まえての「舞台」リコリス・リコイル 感想戦ですが、ハッキリ言って
観客の期待や高まったハードルを悠々と超えていく、最高の舞台
でした。
普通だったら絶対に手の届かない「アニメ」リコリス・リコイルの世界を、現実に引っ張り出してきてくれる。
あるいは、我々観客をリコリコの世界に連れて行ってくれる。
そんな素敵な舞台は、具体的に何がどう素晴らしかったのか、心に響いたのか。
1オタクの戯言ですがお付き合いください。
2.「舞台」リコリス・リコイルの魅力
本舞台の魅力は大きく4つあると認識しました。
(もちろん何もかもが素晴らしかったのですがここでは大きく4つとさせていただきます)
魅力その1:キャラクターがそのまま現実に飛び出してきたかのような再現度
我々観客の心を一番に掴んだ要素、それがこの「圧倒的再現度」。
Twitterの感想ツイートを見ていてもこの「再現度が高い!」という意見が一番多かったように感じます。
リコリス・リコイルの2次元と3次元における最大の隔たりはなんといってもキャラクターと銃撃戦。
アニメの中の魅力的な設定モリモリで個性の塊みたいなキャラクター達を現実で再現するのがいかに難しいか、想像するのは容易でしょう。
容姿はもちろん、表情・声・喋り方・仕草・姿勢なども含めたキャラクターの再現を求められます。
加えてリコリス・リコイルでは銃を用いた戦闘シーンもあり、そのアクロバティックな動きも再現する必要があります。
特にこの銃撃戦をどのように舞台で再現するのか、期待とともに一抹の不安を抱えていた人もいるはずです。
その不安を一瞬で吹き飛ばしてくれたのが、冒頭のたきなの戦闘シーン。
立ち姿、表情の作り方、そして殺陣。千束と出会う前の、冷静かつ冷酷な井ノ上たきながそこにはいました。井ノ上たきな役 本西彩希帆さんではなく、井ノ上たきなが。
そして機関銃を観客席の方へ一気にぶっ放して「舞台」リコリス・リコイルの幕が上がります。
この段階で心の中から不安なんてものは全て消し飛び、どんな素晴らしいものを見せてくれるのか、という期待しか存在しませんでした。
百聞は一見に如かず。ぜひ映像で見てみてください。
魅力その2:コミカルとシリアスが切り替わるテンポ
「アニメ」リコリス・リコイルの魅力の1つでもあった、コミカルなシーンとシリアスなシーンの移り変わる早さが舞台でも見事に再現されていました。
最も印象的だったのはやはり
喫茶リコリコでのボードゲームシーン
→シンジ登場でカオスのできあがり
→リコリスが真島に撃たれる
という一連の流れでしょうか。
会場中が笑いに包まれるほどのコミカルなシーンから一転、突然のシリアスシーン。
私はあまりの振れ幅の大きさに気持ちの切り替えが追いつきませんでした。
「ギャップ萌え」なんて言葉が存在するくらいに、人間はギャップにときめきを感じ得ます。
楽しいシーンは思いっきり楽しく、カッコいいシーンはバチっとキメる。
光のように明るいシーンの裏では、どす黒い闇が秘かに蠢いている。
アニメさながらの、時にアニメ以上のテンポ感でこのギャップを演出してくれたことに驚嘆し、その一気に空気が変わる瞬間に痺れました。
また、舞台ならではの強みとして上下左右の空間を使えることがこのギャップ演出に大きく貢献していました。
下でコミカルなシーンをしたすぐ後で上でシリアスなシーン、右で回想シーンを演じながら左では他のキャラクターが見守っている、などのように舞台という空間を余すことなく有効活用することでテンポよく場面の切り替えができていた点が、見ている側を飽きさせない素晴らしい演出だったと認識しています。
魅力その3:最初と後半開始時の演出
2.5次元舞台の難しいところの1つに、「いかに観客を舞台中の世界に引き込むか」という点があります。
年を重ね大人になってしまった我々は常日頃3次元という日常を生きており、良くも悪くもフィクションとノンフィクションを区別して認識できるようになりました。
それゆえ、人によっては創作物の世界に没頭できなかったりしてしまうわけです。
アニメや映画ならまだしも、目の前で物語が紡がれていく舞台において「観客が没頭できるか否か」は満足度に大きく関わります。
そして特に重要なのは一番最初と、休憩後の後半開始時。
なぜならその2場面において、我々観客は直前まで現実にいるからです。
Twitterを見る者、友人と喋る者、手放せない仕事のやり取りをする者…
(中にはパンフレットを読んだり、スマホの電源を早めに落として開始前特有の緊張感漂う空気を堪能していたりする人もいるでしょうが)(私はその派閥です)
ではそんな現実を生きる我々を、どのようにして「舞台」リコリス・リコイルの世界へ引き込んでくれたのでしょうか。
まずは一番最初の開始時のシーンです。
たきなが機関銃をぶっ放した時、舞台上のプロジェクションマッピングではアニメ同様に大量の窓ガラスが割れていました。
ここで我々観客と舞台上の壁を壊し、そこからOPテーマ『ALIVE』へ繋ぐことで観客を一気に「舞台」リコリス・リコイルの世界へ引き込んでくれる演出だったと私は認識しています。
映像で見たい方は下のダイジェスト映像の37秒から、その雰囲気が掴めると思います。
続いて、後半開始時のシーン。
千束が出てきて、
「喫茶リコリコ、本日は閉店とさせていただきます!」
「というわけで、喫茶リコリコ恒例、閉店後ボードゲーム大会スタート~!」
と我々観客に話しかけてくれます。
この瞬間、我々観客は「舞台リコリス・リコイルを見に来た観客」ではなく、
「喫茶リコリコへ遊びにやってきた客の1人」
となるわけです。
観客すらも巻き込んで舞台の一部としてくれる。
これ以上の舞台への没頭があるでしょうか。
余談ですが、このような演出は 錦木千束役 の 河内美里さんが主演を務めた「舞台 やがて君になる encore公演」でもありました。
後半開始時、我々観客は「舞台やが君を見に来た観客」ではなく、
「作中の生徒会劇を見に来た生徒の1人」となるような演出がなされていました。
こちらも素晴らしい作品なのでぜひご覧ください…!
このように我々観客を「舞台」リコリス・リコイルの世界へ引き込んでくれることによって、素晴らしい作品が完成した…と考えるのは流石におこがましいですね。キャストの方々が言うならまだしも。
素敵な世界に引き込んでいただき、本当にありがとうございました。
魅力その4:キャラクターとして生きている姿が見える
アニメでも漫画でも舞台でも、場面によって主役が変わる、ということは多々あります。
リコリコで言えば主人公は千束とたきなの2人ですが、場面によってはクルミ、ミズキ、ミカや真島、シンジ、ロボ太、楠木司令など主役が変化します。
その場面に応じた主役にスポットライトが当たり、注目を集めるのは当然です。
しかし、舞台ではその場にいる全員がそのキャラクターとして生きているのです。誰ひとりとして止まっておらず、みんなそれぞれの生を全うのしているです。
その様子を見れるというのはアニメにはない、舞台ならでは良さだとハッキリ言えます。
例えば、たきなの回想シーンではフキ・エリカ・たきなにスポットライトが当たっていました。
その横で千束・ミズキ・ミカが見ていましたが、各々がリアクションを取っていたのです。ただ傍観していたわけではなく、話を聞いている時のように反応を示していたのです。
アニメで回想シーンがあったとしても、その回想中にどんな反応をしているかは直接見ることができませんよね。
でも舞台はアニメの裏側やより奥深くまで見れるのです。
彼ら彼女らがどのようにあの世界の日常を生きているのかまで見ることができるんです。
そう、あの舞台にいたリコリス・リコイルのみんなは、紛れもなく
生きて -『ALIVE』して- いた
わけですね!
…おあとがよろしいようで。
3.最後に
2023年はリコリス・リコイルのみならず、「ウマ」や「チェ」から始まる某大人気作品の舞台化も決定するなど、舞台の観劇デビューする方が多くなりそうな1年だと思っております。
その先陣を切るにふさわしい、最高の作品でした。
カンパニーの皆様、スタッフの皆様、素敵な作品を本当にありがとうございました!
当記事を読んで、少しでも「舞台 リコリス・リコイル」および2.5次元舞台に興味を持っていただけたら幸いです。
あなたもぜひ、現実と作品の狭間の世界に飛び込んでみませんか?
ありがとうございました。
読んでくれて、嬉しい嬉しい嬉しいっ!
P.S.唯一の不満点は未だに第二幕の公演決定が発表されていないことです。心よりお待ち申し上げております。あとBlu-ray買いました。楽しみにしてます。さかな~ちんあなご~いせえび~
当ブログについて
こんにちは。
Rhyze_りぜ と申します。
最初なので当ブログ Rhyzm観-りずむかん- について簡単な説明を。
1.当ブログで扱う内容
- アニメ・舞台(特にラブライブ虹ヶ咲/ぼっち・ざ・ろっく!)
- 音楽(特にギター)
両方ただの趣味ですね。
よくある趣味ブログといえば、ただ感想を述べるとか備忘録とかそういった自己満足で終わってしまいそうな類のもの。でも赤の他人の自己満ブログほど読む気が失せる物もないですよね。
そこで当ブログの目的はそのコンテンツに興味を持ってくれる人を増やしたり、既に好きな人に新しい知見を与えるきっかけになったりすることです。
要するに、そのコンテンツの盛り上げに少しでも貢献することが最大の目的です。
思っているだけでは夢は叶いませんが、言葉にしていれば叶う可能性が1%くらいは出てくるかもしれませんからね。
私は
・虹ヶ咲の3期とぼっち・ざ・ろっく!の2期と両者のコラボ
・舞台リコリス・リコイルの第二幕
を心よりお待ちしています。
2.ブログコンセプト
・「良さ」や「面白さ」を可能な限り論理的に
「この作品、良いな/面白いな」という感情はほぼ主観によるものです。
その主観的な感情を言葉で説明できれば、より多くの人にその作品の魅力を伝えられ、興味を持ってもらえるチャンスが増えるのではないか、と考えております。
なので感想ブログではなく、解釈ブログを目指していきます。解釈もこじつけや個人の予想ではなく、できるだけ根拠を持ってお話しできればと思います。
・動画全盛の時代にあえて文字
この活動を始めるにあたって何の媒体で発信しようかと考え、最終的にはYouTubeやTikTokなど手軽に見れて楽しめる動画ではなく、「ブログ」「文字」を選びました。
理由は2つ。
- YouTubeでオタクが自分語りしてるだけの動画はそもそも需要がない(個人の見解です)
- 動画は手軽に見れる分、見終えた後で記憶に残らないことが多い
1はそのままの意味です。筆者も別に見たくないです。
2に関しては皆さんも身に覚えがあるのではないでしょうか。動画を見終わった後で「あれ?結局この動画は何が言いたかったんだっけ?」と。昨日見た動画の内容や一番言いたかったこと、思い出せますか?
動画が氾濫している現代社会で一々動画の内容全部覚えてなんていられないですよね。
もちろん覚えている人もいるでしょうが、大半の人は右から左へ受け流すように動画を「消費」している時代です。すなわち、記憶に残らない。
そこであえての「文字」です。
ブログや文字であれば情報を「咀嚼」できます。
動画は情報が勝手に流れていきます。自分が干渉できるのは「止める」と「戻す」のみ。受動的な要素が強めといえます。
しかしブログは情報が勝手に流れることはなく、自分で読み進める必要があります。進むも止まるも戻るもすべて自分次第で、その記事で書かれていることに対して自分はどう思うのかを考えながら読み進められます。すなわち、能動的な要素が強めです。
何もしなくても勝手に流れてくる情報と、自分でも色々な思いを巡らせながら自分のペースで進められる情報、どちらの方が記憶に残りやすいでしょうか?
・・・。
ここまで言っておいて何ですが、結局は個人の好みです。
情報を「消費」するか、「咀嚼」するか。「消費」してもらうか、「咀嚼」してもらうか。
私は後者を選んだという話です。
そしてここで「いや動画でも情報の咀嚼はできるし。」と思った方。
当記事を読んだ上で、自分の意見を抱いてくださいましたね。
しっかりと情報を咀嚼していただき、誠にありがとうございます。
おあとがよろしいようで。
また別の記事でお会いしましょう。
Rhyze_りぜ でした。